『青い鳥』~事実と向き合う強さ~

自分のやったことに責任をとる。
それは時に簡単なことではない。
人は現実と向き合うことから逃げたくなる時がある。
いやな思いをしたくないから、その事実をなかったことにする。
でもそれは責任をとっているとは言えない。
良いことも悪いことも、楽しいことも辛いことも、
そして、認められることも認めたくないことも、
全て自分が抱えられる強さが要る。
それが責任をとるということ。
↓↓↓ここから先は、映画の内容が含まれます
いじめによる自殺未遂などなかったかのような、平穏な新学期を迎えた中学校。
そこへ新たに赴任してきた極度のきつ音である臨時教師の村内(阿部寛)は、
事件後転校した被害者生徒の机を教室に戻すように命じて生徒たちに衝撃を与える。
そんなある日、いじめに加担したことに苦しむ真一(本郷奏多)は、
その苦しい胸の内を村内にぶつけるが……。(シネマトゥデイより)

「いじめ」、そしてその結末を子供たちが体験し、
様々な気持ちを感じ、揺れ動く。
それはごく当たり前のこと。
でも、周りの大人はそれを見守れない。
なぜなら、自分たちが子どもの葛藤や感情を受け止めるのが怖いから。
手に負えなくなるのか嫌だから。
子供たちの揺れ動く感情を鎮めようとし、
出来事を記憶から消し去ろうとする。
生徒たちにお決まりの「反省文」を書かせ、
それですべてが解決したと言い切る。
大人もどうしていいのかわからないのだ。
だが村内先生は、事実を事実として向き合い、
子供が動揺しようが、感情を出そうが動じない。
一貫した態度で生徒に接する。
なぜなら、自分のとった行動で生徒がどう反応しようが、
それは生徒が自分で解決することだと知っているからだ。
だから生徒の本気の声に耳を傾けようとする。
自分も本気で伝える。
本音が表現されて初めて事実を受け入れられるから。
そして、受け入れて初めて自分の問題として理解できるから。

この映画の中で、学校は二度と同じことを繰り返さないために、
「青い鳥BOX」というものを作り、悩みを匿名で入れるよう呼びかける。
そして定期的に箱に入ったメッセージをチェックする。
ゴミに混じって入っていたメッセージは
「青い鳥ってなに?」
そのあと、もう一度同じ言葉が投函される。
「青い鳥ってなに?」
担当教師はそれを悪ふざけだと受け取り、
相手にしない。
多分観ている観客もそうだと思っている人は多いだろう。
だが、これが本気の言葉なのだと私は思う。
なぜなら二度も投函されている。
だから、無視せず本気で答えるべきであると。
そして、もうひとつ。
「人を嫌うこともいじめなのか?」
この質問も流そうとする。
人は何が重要で何が重要でないかを
自分の尺度でしか判断しない。
だから、相手を思いやる気持ちまでたどり着かない。
先生がそうなのだから、生徒は何をお手本にすればいいのだろう。
矛盾だらけの世の中で、どこを目指していけばいいのだろう。
14歳は不安定だ。
そんな時期に、羅針盤になってくれる大人がそばにいるかどうかは、
とても重要なことだと思う。
この映画、多くを語らない村岡先生のように、
じんわり心にしみる。
そして、「自分に責任をとる」ということを
改めて感じる映画である。
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